『ニーチェ』という人がいた。
有名な哲学者である。
「神は死んだ」
という名言がある。
『ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)』という本も有名である。
こんな名言もあって、すごく頷ける。
人は何を笑いの対象にするかで、その人の人格が分かる。
のっけからかたい話かと思われた方、ご安心下さい。
もう少しで釣りの話になります。
哲学にはほんの少し興味を持ったこともあったが『ツァラトゥストラは。。。』なんて読んだことはない。
最近、ニーチェの名言で気になるものがいくつかあったのだ。
その名言を読んで、ニーチェって『釣り人』なんじゃないかと(勝手に)思った。
そんな勝手に妄想したことを書きたかっただけである。
なので真剣にニーチェを好きだとか研究されている方は、これ以上読まないことをお薦めします。
ニーチェの名言
ニーチェには数々の名言がある。
中でも『釣り人じゃないか?』と思った名言は下記だ。
成熟とは、
子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味を
ふたたび見出したことである。
- 子供のとき遊戯で示したあの真剣味。
- 今、釣りに夢中になっているこの真剣味。
- それを成熟と呼ぶ。。。
この名言は、
- 釣りに夢中になっている大人
- または、
- 釣りに夢中になっている大人の言い訳
を的確に表現していると思ったのだ。
さらに、ニーチェが鱒釣りをしていたのでは?と思った名言をご紹介する。
怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ。
汝が久しく深淵を見入るとき、 深淵もまた汝を見入るのである。
僕は釣りをしたりルアーを作ったりしている時、よくこう思っている。
「鱒(マス)の気持ちが知りたい。いや、いっそ、鱒(マス)になりたい!」
これは先ほどの 「怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬように心せよ」という言葉がぴたりと当てはまる。
「鱒(マス)と戦う者は、みずからも鱒(マス)とならぬように心せよ」である。
また僕は、渓流釣りをしている時に渓魚の反応を目で見るのがすごく好きだ。
なので「見たい見たい」とヤマメアマゴイワナのいる場所に近付き過ぎることがある。
その結果、僕に気付いた渓魚たちが淵の奥や落ち込みにピューッと逃げていくのをよく目にする。
いつも近付きすぎてはダメだと思いながら、それでも出来るだけ近付こうとしてしまう。。。
先ほどの名言はそんな僕(鱒釣り師)の気持ちも表現している。
ニーチェにこう言われた気がした。
「汝が久しく鱒(マス)を見入るとき、 鱒(マス)もまた汝を見入るのである」
(訳:鱒(マス)の反応を見たいのはわかるけど、近付き過ぎたら鱒(マス)も釣り人を見つけちゃうよ)
ニーチェの「汝が久しく深淵を見入るとき、 深淵もまた汝を見入るのである」という名言。
鱒(マス)に近付き過ぎて逃げられたニーチェが思い付いたのでは?とまで思った。
どうして急に哲学者ニーチェの言葉なんぞを考えたりしているんだろう。
自分でも不思議に思っていた。
しかし最後のこの名言に出会って謎が解けた。
小説家、夢枕獏(ゆめまくらばく)さんの名言だ。
釣れない釣り人は哲学者。
釣れた釣り人はただのお調子者。
初釣りに管理釣り場に行ったが、渋い釣果だった。
釣れない釣り人なので哲学的な事(でもないが)を考えたりしてしまったのだ。
早く解禁になって、釣れたただのお調子者になりたい。
そして冒頭のニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)』ではないが、
『しげるが釣れた話をかく語りき』
のようなブログを書いて、
「どや?」と言いたいのだった。。。
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「釣り竿とは一方の端に釣り針を、他方の端に、馬鹿者をつけた棒である」
漢は黙って獣道様より
↑
この名言を思いだしました(笑)
ブログを書いてて思ったのが、アングラーって3通りに別れる気がします
格好良いアングラーと、お笑い系アングラー、普通のアングラー
良い子、わるい子、普通の子、じゃないんですけどね。
しげるさんと自分とまさのりさんは同じ枠かなぁ(^o^)
右脳派釣師さん
他方の端に馬鹿者は名言ですよね。
僕の事だと思いました(^^)
良い子悪い子は欽ドンですね!
間違いなく同じ枠ですね(^^;)
僕のブログは、お笑い至上主義ですから(^o^)
こんばんは。
先日お話しした通り、しげるさんのブログがきっかけで、地元のアングラーさんのお知り合いがたくさん増えました。
あくまでも今のオフシーズン中のFBのコメントやメッセンジャーでのやり取りでは、私の知る丹沢アングラーはみな、同じ括りではないかと感じてしまいます。(類は友かもですが…)
丹沢では知らぬものが、いないほどの雲の上のカリスマアングラーの方々までも私のバカ話に構ってくれる、愉快とも言える方々。
しかし皆様、いざロッドを握ると本当に神々しいオーラを放つ、超かっこいいアングラーであり、フィールドで羨望の眼差しで、この方々を昨シーズンは隅から拝見しておりました。
私は釣れないと哲学的というか、自分に都合が良い方向に色々理由づける類かと思います。
(反省や進歩がなく、得意な釣り方や釣り物に逃げる…)
ただ、渓流のドライフライにはまった時は3年近くストイックに、釣れるようになるまで考え抜きましたね。それで、なんで今ルアーなんだかまったくもって自分でも訳わかんないですが…
3110tkjさん
勇気を出されて行動されたからこそだと思いますが、少しでもきっかけになれたなら嬉しいです(*^_^*)
笑いって大事だと思いますし、渓流を楽しまれているからこそ愉快な話が出来たり、馬鹿話が出来るんだと思います(^^)
カリスマアングラーの方々も、3110tkjさんも。
釣りの時のギャップも素敵ですね(^^)
ドライフライを3年近くストイックに、、、ってすごいです(>_<) 僕もなぜ30歳から釣りにハマったのか自分でも分かっていないです(^_^;)
今度はニーチェと釣りですかぁ(笑)。また凄い所と釣りを結び付けましたねぇ(笑)。
ニーチェの何処が釣りを感じさせるのだろう??と思い読み進めましたが……
うぅーん。僕にはニーチェは哲学者であって、釣り人ではなかった(笑汗)。
しげるさん解釈もわかりますが、オリジナル解釈の方が印象強くそれを上回れなかったぁ( >Д<;)。
花屋のいちろーさん
僕のブログを読まれても、オリジナル解釈>しげる解釈で、ニーチェは哲学者>釣り人でしたか!
それは恐らく、いちろーさんが鱒を見たくて近付き過ぎて、しょっちゅう鱒に逃げられるような素人釣師ではないからです!
だからニーチェのメッセージが聞こえないのです(^^)
もしくは僕の解釈が釣りと結びつけようと強引過ぎた(^^;)
前者も後者も、どちらも当てはまりますね(^o^)