2015年の3月、4月、5月の中旬をホームリバーでの渓流ルアー釣りに捧げた。
それは、『捧げた』 という言葉がぴったりの釣行の仕方だった。
僕は会社にアマゴを触った後の残り香がある手で出勤し、パソコンを叩いた。
これが女性の残り香が薫る30代(男)ならちょい悪的な魅力があるかもしれないが、アマゴの残り香である。
それでもぼくは幸せだった。
3月~5月の前半をホームリバーに捧げたが、まだ釣ったことのないポイントは当然たくさんあった。
川での数百メートルの距離は、真剣に釣りをすると数時間かかるのである。
一つの川でも、1年やそこいらでは釣り尽くすのは難しいのである。
そのころの僕は、かなりホームリバーに通って、季節がめぐったおかげもあり、数も釣れ出した。
それでも僕はまだ釣りたかった。
魚釣りという病は際限がないのである。
僕は渓流ルアー釣り2年目の素人だが、さすがにこれだけ通うと色々と考える。
考えた結果、
「これだけ通っている僕でも釣っていない場所があるのだから、他の釣り人が見逃しているポイントもあるはずだ」
と考えた。
さらに、5月の半ばくらいになると、渓流釣りをしている人と出会うことが非常に少なくなってきたことも考えに影響していた。
解禁日、放流日だけ釣って、それ以外は釣らない人も非常に多いのである。
すると、釣りきれなかった魚で鳥などの外的以外、人的な釣りでは減っていないのもいるのではないか? と考えだした。
要は他人が釣っていないプレッシャーの無い場所を探して良い思いがしたいのである。
どこまでも姑息だが、僕は渓流ルアーで魚をまだまだ釣りたかったのだ。
そうやって、『竿抜けはいねーがぁー』となまはげ的に車を走らせた。
僕の姑息な目で見て行くと、やはりいくつか竿抜け的なポイントはあった。
実際に釣れたポイントもあるが、釣れないポイントもあった。
でも、推論を元に行動し、検証することで結果にあらわれて経験にもなるのだ。
なんといってもホームリバーは近いため、出勤前釣行という必殺技を駆使したのだ。
自分に言い聞かせた僕は、とにかく新しい場所に竿を出してみることにした。
この竿抜けをさがす行動は、後に更にステップアップする。
けれど、自分の行動が正しいか正しくないかは釣れた魚だけが存在証明なのである。
僕がこの竿抜け探しを始めてから、初めていい思いをしたポイントのことは良く覚えている。
そこは、民家のすぐ裏だった。
川幅は数メートル。全てフリップキャストで届くくらいの幅である。
竹林がヘリにあり、瀬の様な、流れ込みの様な場所だった。
ar-sスピナーを投げる。
追ってきた。
デカイ!
そのアマゴはar-sスピナーに喰いついた。
手応えがある!
重い!
ドラグが少し鳴った。
それでもなんとか足元まで引き寄せてネットインした。
25センチほどのアマゴだった。
このアマゴは、自分的には衝撃の出会いだった。
本当に民家のすぐ裏で、こんなところに、こんな良型のアマゴがいるのだと釣った後でも
半信半疑なくらいだった。
僕は竿抜けの威力を感じた。
僕が竿抜けに認定したそのポイントは、実際に竿抜けかはわからない。
だって、ずっと見張ることも出来ないし、監視カメラがある訳ではない。
それでも、竿抜けポイントを探した結果、ルアーに対する反応はすこぶるよかったのだ。
竿抜けと思うより他ないのである。
それから僕は加速度を増して、竿抜けをさがすようになる。
それからさらにいい思いをすることになる。
しかし、それはまた、別の話(王様のレストラン風)なのである。
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